ジェンダー平等は家庭から

うつ病になるほど苦痛だった主婦生活で見えた理不尽なジェンダー差別の実体験を綴ります

感情が家庭で育まれなかった私には感情がない

私には「感情」がない

 

子供の頃、感情を持つことを許されなかったからだ。

 

母は自分が理解できないとか、許せないといような感情を私が表現すると、常に徹底的に暴力的に否定した。

 

そんなことが何年も続いた結果、感情を持たないことが、生きる上での必須スキルとなった。

 

小学校高学年の頃には、もう親への期待も全くなくなり、親とは会話をしなくなった。

 

そして、そんな家が苦痛で堪え難かったので、20歳で就職して3ヶ月後に家を出た。

 

6年くらいは、母が何を言ってきても無視して、仕事に精を出していた。

 

もともと自分が望んだ、そして幸いにも向いている仕事だった。

 

しかし、母は、自分の信じる「普通」を押し付けるために、なんとしても結婚させようと、何回もお見合いをセッティングした。

 

私はといえば、仕事で、ちょっとだけうまくいかなかった時期があって、気持ちが弱くなっていたので、母の結婚をさせようとする嫌がらせに耐えられずに、結婚する羽目になった。

 

結婚すればしたで、「子供はいつ」「一人っ子じゃかわいそうよ、2人目はいつ」と、母の要求は際限がない。

 

1人目はなんとか育てられたが、2人目を産んだことがきっかけでうつ病になってしまった。

 

しかし、主婦や母親というのは、病気になっても休むことさえ許されない。

 

夫や子供は自分の部屋があるのに、私の居場所はずっと台所だ。

 

うつ病は、何も心配せずゆっくり休むことでしか治らないのに、休むことも許されず、休める部屋さえもない。

 

親に手伝ってもらえばという人もいるだろうが、あんなストレスフルな人がいたら、余計うつ病がひどくなってしまう。

 

結局、上の子が家を出るまでの25年間、薬を飲みながら、家事ロボットとしての生活を25年も続けた。

 

「家事ロボット」の間は、薬の影響もあって、感情が沸かない。自殺を考えてしまったりするので、感情をなくすための薬を飲んでいるからだ。

 

私は今、57歳だが、子供の頃と出産後を除いた、家を出てから出産するまでの約9年間しか、人間らしい「感情」とともに生活した期間がない。

 

多分、今親が死んでも、全く悲しいという感情は湧いてこないだろう。「感情」というものが育っていないのだから仕方がない。

 

今も、感情的に話す人との会話は、理解も共感もできないので、とても疲れる。

 

今から「感情」というものを育てていくことが可能なのかどうかはわからない。

 

今湧いてくる感情は、人として尊重されなかった怒りだけだ。

 

逆に、感情がない方が、感情的なトラブルに巻き込まれない分、平穏な生活ができるかもしれない。

 

そう思って、生きていこうと思う。