ジェンダー平等は家庭から

うつ病になるほど苦痛だった主婦生活で見えた理不尽なジェンダー差別の実体験を綴ります

意味やメカニズムよりすぐに使える答えを求められて戸惑った話

この1年間、私がプログラマーだということで、スマホ教室の講師を頼まれたり、パソコン関係の相談を受けて、なんだかうまくいかないなーと感じた原因がわかった気がするので書いておく。

 

私は、これからやろうとすることの意味やメカニズムや意義について納得がいかないとできない性格だ。

 

そういう性格だから、スマホ教室で、アプリの使い方を説明する時にも、受講者はボタンひとつひとつの意味を理解したいものだと思っていた。

 

しかし、なんかおかしい。なんか違うみたいだ。

 

ただ、順番に、「ここを押して」「ここを押して」と言ってもらって、その通りやることに抵抗がないらしいのだ。

 

私ならいちいち、それは何のためのボタンなのか確認しなければ気が済まない。

 

しかし、どうもそういう人はそんなにいないらしい。

 

ただ言われた通りにやるか、なんだったら全部やってもらいたいという人がいるんだなーと驚いた。

 

私はとても怖くてそんなことはできない。

 

たしかに、最近はデジタル分野に限らず、どの分野でも、専門家でなければわからないほど難しいことばかりで、いちいち理解していられないという気持ちも理解できる。

 

それでも必要最低限のことくらいは知っておかないと、不利益を被る。

 

だから私は、関心があることなら、どんな分野でも、納得がいくまで勉強する。

 

デジタル分野に関して言えば、不利益を被るケースを知っているだけに、それを伝えないのが心苦しいから、説明がくどくなる。

 

でも、小難しいことは知りたくない人にとっては、関心がないことだったのだ。

 

今後も何か頼まれたら、相談に乗ってあげたいと思っていたが、どうも私にはそういう仕事は向いていないようだ。

男性版産休と持続可能な働き方

東京新聞によれば男性版産休制度創設に向けた議論が本格化したとのことで、産後うつ経験者としては、大変期待している。

 

www.chunichi.co.jp 

「経営側は二週間前の申請では人手が確保できず、業務に支障が出ると主張」しているようだが、妊娠がわかった時点から準備を始められるはずだ。やりたくないから難癖をつけているだけだろう。

 


また、出産や育児だけでなく、つわりや切迫流産、切迫早産などでも家庭内の仕事に支障が出るのだから、妊娠期間中から男性も臨機応変に休める制度が理想だ。そうでなければ、動けない妻が無理して動くか、夫が長時間働いて帰ってきてから家事や上の子の世話を負担するしかない。

 


そもそも、経済活動である労働は個人の尊厳を保ち、豊かで幸せな生活を営むためのもののはずなのに、働くために個人生活を削られる今の社会のありようそのものを変える必要があると思う。

 


少子化を食い止め、安心して子どもを持てる社会の実現のためには、経営者だけでなく、消費者を含めた全ての人が意識を変え、動物である人間の体に無理のない働き方を含めた持続可能な生活スタイルを目指す必要があると感じる。

母親に自室がないことがなぜデフォルトなのか

子育て中の20数年のほとんどの期間、うつ病だった。

多分、ゆっくり休むことができれば、一年も経たずに治っていただろう。

しかし、子供や夫には自室があるのに、私の居場所は台所だった。

寝る時だけ、娘の部屋で、まだ起きている娘に遠慮しながら、電気がついた部屋でアイマスクをして寝ていた。

でも、当時の私は、そんな状況に、全く疑問を持っていなかった。

精神的にはつらかったし、アイマスクをして寝る状況は不満だったものの、自分の部屋がないことについては疑問を持っていなかった。

母の日に子どもからアイマスクを送られるほど、当たり前だったということは、今考えれば異常だった。

 

そんな状況がおかしいと気付いたのは、息子が家を出て、息子が使っていた部屋を自分の部屋にしてしばらくしてからだった。

誰にも遠慮せず、誰にも邪魔されずに、ゆっくり眠れるし、ゆっくりくつろげる、そんな部屋を手に入れてからは、うつ病が次第によくなっていった。

 

今日、NHKのシブ5時という番組の相談コーナーで、夫が在宅勤務になった妻から、自分の部屋がなくゆっくりできずストレスがたまるという相談があった。回答者が「修行だと思って」と言っているのを聞いて、いまだに女性に我慢を強いることが当たり前になっていることに怒りを感じた。

 

なぜ、母親というだけで、こんなに何もかも我慢しなければならないのか?

ゆっくり休める時間も空間もなく、お金の面でも遠慮しなくてはならない上に、病気でも家事を押し付けられる。

しかも、そんな状況を、なぜか母親自身が受け入れてしまっている。

 

本当に不幸なことだ。

出産退職で失った収入は1億円超

20歳から29歳で出産退職するまで、プログラマーとして働いていました。

退職当時の年収は、360万円でした。

当時のままの年収で定年まで仕事を続けられた場合の収入のトータル額は1億円超です。

しかも、育児か仕事か選ばざるを得ない状況で仕方なく仕事を辞めたことにより、うつ病になりました。

失った収入とうつ病による健康被害という重大な損失は、一体誰が補填してくれるのでしょうか?

本来なら、女性が、育児か仕事か選ばざるを得ない状況を作り出している政府が補償すべきだと思います。

また、長年にわたり、年収360万円を稼ぐということは、その分の所得税が国や自治体に入るのですから、本当なら国にとっても損失なはずです。

しかし、そんなことは全く省みられることもなく、男性が、女性の家庭内無償労働を前提に長時間労働を提供するといういびつな社会が続いています。

残念ながら、私には、この女性に不利な社会環境を変える方法を考え出すことはできませんが、少なくとも夫は、私の怒りや私の受けた損失については理解してくれています。

以前にも書いたように、家庭あるいは個人の生活が正常に保たれてこそ、いい仕事ができるはずです。そのために、食事や入浴や洗濯、そしてリフレッシュの時間が必要で、それは、男性でも女性でも、独身でも結婚していても同じはずです。

結婚して、身の回りのことを任せられる妻がいれば、安心して働かせ放題という現状は、男性にとっても幸せな状況ではないのではないでしょうか?

女性に不利な社会状況は、裏返せば、男性だけが無理をして働き続けなければならない状況であるとも言えます。

男性女性に関わらず、仕事も個人の生活も大切にできる社会が、本当に幸せな社会だと思います。

育児と一般企業での労働条件を比較してみた

昨日、俳優の竹内結子さんが自殺されたというニュースのあと、Twitter産後うつが原因ではないかとの噂が流れた。


「2人目なのに?」などど言う人もいて、2人目で産後うつになった私にはつらい話題だった。


これを機会に、私が産後うつになったからこそ気づいた、「母親」と一般企業での労働条件を比較してみたい。(新卒採用の正社員を想定)


まずは勤務時間。

乳児を育てている時は、24時間休みなしだ。睡眠時間もろくに確保できない。

一般企業で、24時間対応が必要な業務は、3交代制なのに、育児は交代もしてもらえない。

「勤務時間」の定めもなく、24時間勤務で働くというような働き方は、一般企業では労働条件という点でアウトだ。


そして連続勤務。

育児では、24時間休みなしが、子供が産まれた直後から最低でも3ヶ月は続く。

連続3ヶ月という期間は、労災認定基準の「発病直前の3ヶ月間連続して1月あたりおおむね120時間以上の時間外労働を行なった場合」に該当する劣悪な労働環境だ。しかも、その条件には出産直後の母親の体のダメージは考慮に入れられていない


1月あたりおおむね120時間以上の時間外労働を含めた1日の労働時間は、20日勤務と計算した場合、8時間+6時間=14時間だが、乳児の母親はさらに10時間も多い上に、休日がないので30日または31日勤務だ。月30日で計算すると勤務時間は、24時間×30日=720時間。

労災認定条件では、8時間×20日+120時間=280時間。

産後うつに罹患した母親には、せめて労災程度の保障をするべきだ。


次に休暇、休憩時間の定め。

乳幼児期を過ぎたとしても、炊事や洗濯、その他の様々な仕事のために、自分のための定期的な休日や休憩時間が確保できない。休んでいたとしても、家族の都合で何かを頼まれたらそこで強制的に休憩時間が打ち切られる。これはとてもストレスだ。

それに、今の時代にまさかこんなことはないとは思うが、熱があって寝込んでいる妻に「俺のご飯は?」と言うようなとんでもない夫がいるという噂も聞く。病気休暇も認められていない仕事など、一般企業ではあり得ない話だ。

 

次に、教育や支援プログラム。


子育ては、未経験の仕事であるにもかかわらず、指導者も支援者もいない。

2人目なら未経験じゃないだろうと考える方もいると思うが、1人を育てている状態と2人を育てている状態は、全く状況が異なるので未経験とほとんど変わらない。

こういう状況も、一般企業では考えられないことだ。普通、入社したばかりの新人に大切な仕事をいきなり1人で任せる会社はないだろう。先輩社員からの指導や支援があったり、研修もあるはずだ。


それから、業務体制。

子供が1人から2人に増え、業務量が増えても、業務にあたる人員は増員されない。これも一般企業では考えにくい。少なくとも、私が勤めていた企業ではそういったことはなかった。業務量が増えれば人員は増やされるし、業務の難易度が上がれば、確実にこなせる他の人がアサインされたりヘルプが入ったりする。


他にもまだある。評価と賃金だ。

子育ては、負荷が大きい業務にもかかわらず、1円も賃金が支払われない。

一般企業では、仕事をすれば当然賃金が支払われる。

賃金が支払われるということが、仕事をする上でのモチベーションを維持するために、とても大切だということは、企業で働いた経験があれば誰でも理解できるはずだ。賃金がない状況で働かなければならないということが、どれだけ精神的に苦痛であるか、男性にも想像してみてもらいたい。


賃金という目に見える形の評価も、その他の目に見えない形の評価もほとんどない状況で、負担の大きい業務を1人で、しかも、企業で働く以上に劣悪な労働条件で行っている母親の置かれた理不尽すぎる状況を、まずは、家族が理解して環境を整えることが、母親を追い詰めないためには必要だ。


自分の子どもを育てることを「労働」とか「業務」と表現することに不快感を感じる方もいるだろう。

特に男性は、母親に対する思いが強い方が多いように感じるので、そういう方は「育児も労働だ」という主張は受け入れ難いとは思うが、育児をしている当人にとっては「労働」に他ならない。育児は、肉体労働であり感情労働でもある。また、教育や衛生管理、栄養や児童心理など、理解しておかなくてはいけないこともたくさんある、かなり難易度の高い「専門職」なのだ。

 

もし、育児は労働ではないと主張される方がいらっしゃるなら、ぜひその主張の根拠を説明していただきたいものだ。


「労働」には、適正な「労働条件」や「賃金」が必要だということは、誰もが疑いようがない事実だ。

 

適正な労働条件が確保されなければ、質の高い仕事はできない。育児にまつわる労働条件を適正にすることは、子どものためでもあるのだ。育児も「労働」として認めていただき、家庭内の労働条件の適正化をぜひ実現していただきたい。


希望する適正化項目は以下の通り

◎適正な「勤務時間」の定め

◎適正な「休日」「休憩時間」の定め

◎会社の研修だったりOJTだったり、上司先輩の支援のような、教育と支援のプログラム

◎子供の数が増えたことにより業務量が増えた場合の、追加人員の確保、または、育児のアウトソースの仕組み

◎正当に業務を行なったことに対する評価制度


ぜひ各家庭で、一度話して見ませんか?

依頼はしても期待はしない

期待は、ほとんどの場合、相手にとって負担になる上に、期待通りになることは少ないだろう。

 

にも関わらず、相変わらず相手に期待しては裏切られ、怒りやストレスを溜めたり、時には爆発させたりする。

 

何と不毛な行為なんだろうと感じる。

 

しかし実は、期待する本人にも、期待に答えられない相手にも、問題があるわけではないのではないかと思う。

 

期待とは、自分が勝手に妄想した、相手にこうであってほしいという姿を、まるで相手にも同じ妄想が見えているかのように、何の説明もないまま、相手に求める行為だと思う。

 

相手には、ほとんど何も伝わっていないのだから、期待された行動ができないのは当然だろう。

 

何かして欲しい時は、期待するのではなく、「依頼」する方がいいと思う。

 

できれば、5W1Hで、「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「何のために」「どのように」をわかりやすく、しかも相手の事情もあるだろうから、「事前に」伝えれば、お互いストレスなく、必要な行動ができるだろう。

 

相手が夫や妻や子どもの場合、「家族なのにそこまでするなんて」と感じるかもしれないが、私は実際にやってみてとても快適な家庭生活を送っている。

 

もちろん、それぞれ個人の特性にもよるだろう。私はなんでも事前に計画を立てて行動するのが好きなので、とてもこのやり方が合っている。

 

感情が家庭で育まれなかった私には感情がない

私には「感情」がない

 

子供の頃、感情を持つことを許されなかったからだ。

 

母は自分が理解できないとか、許せないといような感情を私が表現すると、常に徹底的に暴力的に否定した。

 

そんなことが何年も続いた結果、感情を持たないことが、生きる上での必須スキルとなった。

 

小学校高学年の頃には、もう親への期待も全くなくなり、親とは会話をしなくなった。

 

そして、そんな家が苦痛で堪え難かったので、20歳で就職して3ヶ月後に家を出た。

 

6年くらいは、母が何を言ってきても無視して、仕事に精を出していた。

 

もともと自分が望んだ、そして幸いにも向いている仕事だった。

 

しかし、母は、自分の信じる「普通」を押し付けるために、なんとしても結婚させようと、何回もお見合いをセッティングした。

 

私はといえば、仕事で、ちょっとだけうまくいかなかった時期があって、気持ちが弱くなっていたので、母の結婚をさせようとする嫌がらせに耐えられずに、結婚する羽目になった。

 

結婚すればしたで、「子供はいつ」「一人っ子じゃかわいそうよ、2人目はいつ」と、母の要求は際限がない。

 

1人目はなんとか育てられたが、2人目を産んだことがきっかけでうつ病になってしまった。

 

しかし、主婦や母親というのは、病気になっても休むことさえ許されない。

 

夫や子供は自分の部屋があるのに、私の居場所はずっと台所だ。

 

うつ病は、何も心配せずゆっくり休むことでしか治らないのに、休むことも許されず、休める部屋さえもない。

 

親に手伝ってもらえばという人もいるだろうが、あんなストレスフルな人がいたら、余計うつ病がひどくなってしまう。

 

結局、上の子が家を出るまでの25年間、薬を飲みながら、家事ロボットとしての生活を25年も続けた。

 

「家事ロボット」の間は、薬の影響もあって、感情が沸かない。自殺を考えてしまったりするので、感情をなくすための薬を飲んでいるからだ。

 

私は今、57歳だが、子供の頃と出産後を除いた、家を出てから出産するまでの約9年間しか、人間らしい「感情」とともに生活した期間がない。

 

多分、今親が死んでも、全く悲しいという感情は湧いてこないだろう。「感情」というものが育っていないのだから仕方がない。

 

今も、感情的に話す人との会話は、理解も共感もできないので、とても疲れる。

 

今から「感情」というものを育てていくことが可能なのかどうかはわからない。

 

今湧いてくる感情は、人として尊重されなかった怒りだけだ。

 

逆に、感情がない方が、感情的なトラブルに巻き込まれない分、平穏な生活ができるかもしれない。

 

そう思って、生きていこうと思う。