ジェンダー平等は家庭から

うつ病になるほど苦痛だった主婦生活で見えた理不尽なジェンダー差別の実体験を綴ります

家族だってそれぞれ自分の考えも事情もある

パートナーや子どもは、それぞれ、自分とは別の背景や歴史を持ち、家族以外の別の人間関係を持ち、別の価値観と事情と感情を持った、自分とは別の人だ。

 

夫は、仕事中は家族とは別の人たちの中にいて、いろいろなことに接し、いろいろな考えや感情を持つ。その日々の中で少しずつ考え方や価値観が変化していく。

 

妻も、家族以外の人たちと接する中で、日々いろいろなことがあり、いろいろなことを感じながら、価値観が変化していく。

 

子どもも同じだ。

 

自分とは違う時間を過ごしている自分とは違う人間なら、考え方や感じ方が違うのは当然だろう。

 

同じ時間を過ごし、同じものを見ても、同じように感じるということはまずない。

なぜなら、過去に過ごしてきた中で経験したことが違うからだ。

 

時々、自分の親やパートナーや子どもが、自分の言うことを聞かないと嘆いている人がいる。最近もそういう人に出会った。

 

その人は、親にコロナ感染が心配だから出歩かないようにと何度も言っているのに、聞き入れてくれないと言っていた。

 

もちろん心配はわかるが、なぜ親だからと言って自分の言うことを聞くはずだ、または、聞くべきだと思っているのか不思議でならない。

 

親は親なりの考えや価値観があって自分の行動を決めているはずだ。高齢になって判断力が衰えているとまわりから見えたとしても、自分なりの考えがあるはずだ。その考えを否定して自分の考えを押し付けるのを当たり前だと思うのは、いささか失礼なのではないだろうか?

 

同じようなことを、パートナーや子どもとの間でやってはいないだろうか?

 

夫婦なんだから、自分のためになんでもやってくれるはず、いつも自分のことを考えてくれているはず、と考えていないだろうか?しかし、自分のことを振り返れば、それは無理だとわかるだろう。

 

また、子どもはまだ判断力がないのだから、親の言うことを聞くべきだという人もいる。もちろん乳幼児なら判断力はないだろうが、自分の意思や気持ちはある。まして、自分なりの考えを持つようになれば、その考えを尊重されたいのは当然だろう。

 

家族が相手だと、なぜか、相手が他人ならやるはずのない失礼で図々しいことを平気で言ったりやったりする人が多い気がする。

 

例えば、相手の事情も考えず、いつでも自分の要求を満たしてくれると思って要求をしてきたりするし、自分と価値観や好みが同じだという前提で自分の話に共感することを押し付けたりしてくる。そして、家族なんだから許されると思っている。

 

受け入れる余裕も受け入れる意思もあるなら問題はないが、本当は不満に思っているのに、いろいろな理由で言えずに我慢している人がたくさんいるだろう。私もそうだった。本当はすごく不満なのに、妻や母親は、夫や子どものために、ほとんど全ての、ほんの些細な願いまでも我慢しなくてはならないと思い込んでいた。

 

実際、少しでも、妻が自分の意思や希望を口にしたり、行動したりすると、家族や周りの人に非難される。

 

しかし、誰だって、失礼な振る舞いをされたり、勝手に自分の時間を使われるのは不愉快だ。

妻だからといって、夫や子どもを優先しなければならない理由はどこにもない。

家族がそれぞれ、仕事や学校とは別に、家庭内の役割を果たせばいいだけだ。

夫も子どももお客さんではないのだ。

 

家族だからといって、相手の事情や気持ちを無視していいはずはない。いや、家族として一緒に暮らしているからこそ、いい関係を保つためにも、他人以上に相手の気持ちや事情を尊重しなければならないと思う。

 

しかし、なぜか、家族のために自分を犠牲にすることがいいことだと思わされていて、そうすることに慣れてしまっているが、そんなことをしていれば、誰だって不満がたまるから、やめた方がいいと思う。

 

まずは、家族の犠牲になることをやめ、自分で自分を尊重し、丁寧に扱ってあげることを練習すれば、尊重されることの気持ちよさがわかる。

 

尊重される気持ちよさを知ることができれば、誰に対しても丁寧に相手を尊重する接し方しかできなくなるはずだ。

 

家族が、気持ちよく過ごすために必要なことは、「尊重」だ。