ジェンダー平等は家庭から

うつ病になるほど苦痛だった主婦生活で見えた理不尽なジェンダー差別の実体験を綴ります

台所にしか居場所がなかった自分の惨めな過去を思い出すたび怒りを抑えられない

我が家の間取りは、6畳2部屋と、4畳半が1部屋と、2〜3畳くらいの台所だ。

 

私は、2年前から、息子の部屋だった4畳半と娘の部屋だった6畳間の間にあるふすまを外して、合計10畳半の部屋をひとりで使っている。

 

もうひとつの6畳間は、20年近く、夫が使っている。

 

かつては、ダイニングとも呼べない狭い台所だけが、私の唯一の居場所だった。

寝るときだけ、娘の部屋を使っていた。

 

今は純粋に台所としてだけに使っているこの場所を眺めるたびに、ここに押し込められて、炊事や洗濯をさせられていた日々を思い出して怒りがこみ上げてくる。

 

この怒りは、どこにぶつけたらいいんだろうか?

 

夫はもう、償う意思を示しているので、夫にぶつけるわけにもいかない。

 

息子には、何も伝えてはいない。なんだか男社会にどっぷり浸かってしまっているような言動が多いので、伝えても受け入れられないだろう。

 

娘には、こんな理不尽な状況に置かれて、すごく怒っていることは、伝えた。

 

それでも、怒りは、まだまだ治まらない。

 

今は、子どもたちとは会っていない。

会わないで済むように手配してある。

会えば、過去の怒りが蘇るからだ。

いくら子どもだからと言っても、あまりにもお客さん扱いしすぎたことは、反省すべき点だった。

しかし、世の中に蔓延している、男目線で男にとって都合がいいように作られた「優しい」「慈愛に満ちた」母親像を期待しているような言動をする子どもたちの期待には、答えられないし、答えたくもないので、会わないで済むのは、とても開放された気分だ。

 

ただ、台所を眺めるたびに湧き上がる怒りは、どうにもならない。

 

本当に、この26、7年の結婚生活の苦しみと怒りが、あの台所に詰まっているのだ。

 

ドラマにしろCMにしろ、マスコミでプロデュースを担当するのは、いまだに多くのケースが男性だ。男性視点で男性が作ったテレビやラジオから、「優しい」母親や、喜んでキッチンに立つ妻やなど、過剰に家事や育児をする母親を美化した映像が消えない限り、私の怒りは、治まることはないだろう。

 

どうか、これからの女性には、私と同じ思いはして欲しくない。

 

女性にも、存分に自分の能力を育て、発揮するチャンスがある世の中になってもらいたいものだ。