ジェンダー平等は家庭から

うつ病になるほど苦痛だった主婦生活で見えた理不尽なジェンダー差別の実体験を綴ります

家庭内では未だに憲法24条「夫婦の同等の権利」を実現できていない

2年前に、就職した子どもたちを独立させて、やっと確保した自分の部屋で、いつも見るテレビ番組を見ようとした私は、夫に「テレビ見るんだね。昔はテレビ見る人じゃなかったのに」と言われた。夫が、かつて夫婦の間に家庭内格差があって、自分が私の権利を侵害していたということを、再三言っているにも関わらず、いまだに気がついていなかったのかとがっかりした。


私は、テレビが嫌いだから見なかったのではない。自分の部屋も、自分のテレビもなかったから見ていなかっただけだ。

しかし、台所にしか居場所がなかった当時の私は、見たいテレビ番組があることにさえも気が付かずにいた。

夫の部屋や娘の部屋の端っこにお邪魔して、自分が見たい番組でないテレビを、あたかも楽しんでいるように、一緒に見ていた。

今から考えれば、本当に惨めな身分だった。

 

もちろん、夫は悪気があって言ったわけではない。ただちょっとした感想を言っただけなのだろう。

多分どこの家でも大差はないのではないか。

友人も「私はチャンネル権がないから」と言っていた。

 

私はテレビのチャンネル権にこだわっているわけではない。

夫や子どもなど、他の家族には認められている(テレビのチャンネル権や具合いが悪い時にはしっかり休養するといった些細な)権利の多くが、妻や母親には認められていないこと、そして、そのことを、当事者である妻も含めたほとんどの人が気がついていないということに、気付いて欲しいのだ。

 

憲法24条には、「夫婦が同等の権利を有する」とあるが、女性が、自分たちの手で実現させていかなければ、いつまでたっても「同等の権利」は女性の手には入らない。

そのためにも、まず、「同等の権利」があることや、実生活でその権利が侵害されていることに気がつくことが必要だ。
権利を主張する人間は、どうしても嫌われがちだが、自分を守るためには、必要なことだ。

 

自分の権利が守られていない状況の人は、誰か他者を攻撃したくなったり、あるいは、こころを病んだりするのではないかと思う。

ひとりひとりの権利が守られてこそ、誰も傷つく人がいない社会ができるのではないか?

そして、その延長線上に、戦争のない平和な世界があるのではないか?

 

夫のように、自分が誰かの権利を侵害していることに気がついていない人は多い。かつての私のように、権利を侵害されていることに気がついていない人も多い。そして私も、誰かの権利を侵害しているのかもしれない。

権利が侵害されていると気がついたなら、自分を守るため、そして、自分が権利を侵害したりされたりしていることに気がついていない人のためにも、遠慮しないで、しかし冷静さを失わずに主張していきたいものだ。

 

子育てに冷たい社会の仕組みが変わらなければ児童虐待はなくならない

仕事に復帰できない悔しさや、夫が何もしない怒りを感じないようにして、ただ、家事をこなすだけの「家事ロボット」になるには、抗うつ薬は一定の効果はあった。

 

今思えば、うつ病でも最低限の家事や子どもの世話はこなしていた。

 

しかし、その状態を維持するために、薬を飲み続けなければならなかった。

 

感情をなくして「家事ロボット」になるために薬を飲み続ける生活が、健全な生活であるはずがない。

 

日本の社会は、女性にそういう異常な生活を強いている。

 

うつ病にならないまでも、妻や母親となった女性は、ほとんどの人が、不満や怒りを抱え、疲労困憊している。

 

その不満や怒りは、時に何の罪もない子どもに向かう。

 

(最近はだいぶ減ってはきたが)育児の幸せな面だけが強調されたメディアの発信の弊害により、育児の現実を知らされずに生きてきた若い親にとっては、育児は苦行でしかない。

 

最近は、(本人が言うには)子どもが泣き止まないという理由で、悲惨な事件が多発している。

 

しかし、虐待事件の加害者として罰を与えることで事件が減るとはどうしても思えない。

 

なぜなら、子どもについての知識も与えられず、誰からの支援もない状況で、しかも、昨今ますます狭さが増す家の中に、母親と子どもだけで閉じ込められていたら、正常な判断ができるはずがないからだ。

 

相談に乗ってもらえたり、子どもの世話を代わってくれる、信頼できる人が、身近にいなければ、子育てなどできるはずがないのだが、社会にそういった仕組みがないので、頼れる人がいるごく限られた人しか、安心できる環境での子育てができない。

 

しかし、その現実を、男たちが知るはずもなく、男のために作られた社会の仕組みには組み込まれない。

 

社会の仕組みを作る場で女性が強い発言権を持ち、仕組み自体を変えていかなければ、母親や子どもたちの苦しみはなくなることはないだろう。

 

コロナ禍で、エッセンシャルワーカーが注目されているが、なぜかその中に、子どもを育てる親は入れてもらえない。しかし、以前にも書いたが、時間と手間をかける以上は、子育ても立派な「ワーク」だ。家事育児に限らず、評価されない仕事をすることは、誰にとっても苦痛だ。

 

少子化で日本の将来が危ういと言うなら、日本の将来のための事業である育児に国がお金を使うべきではないだろうか?

 

 

 

 

女性だってやりたいことをやっていい

昔なら厳しい親の行為として許されていた言葉や身体の暴力を受け続けた子ども時代を含め、トータル50年以上、家族と世間から、自由を奪われ、やりたいことがほとんどできなかった。

 

前にも書いたように、世間から子どもが欲しいと思い込まされて子どもを産み、うつ病を抱えながらワンオペで育てた子どもたちも、就職を機に家から出て行ってもらい、夫には今まで家事や育児を担ってこなかった償いとして、家事担当を交代してもらって、やっと自由な自分だけの時間を確保した。

 

そうしたら、徐々にうつ病はよくなり、今はもう治った。

 

60近くなった今からが、やっと自分の人生の始まりだ。

 

幸い、若い頃に身につけたIT分野のスキルは健在で、今、最も必要とされている分野だ。これからいくらでもできることはある。

 

世間から押し付けられた嫁や母親役割は、私に辛い生活をもたらしはしたが、なにも得るものがなかったわけではない。

 

ジェンダーとしての女性が差別され、不利益を被り続けていることに気づけたし、そのことによって、政治や経済など、世の中のことに関心を持ち、勉強もした。

 

今は、自分を含め、女性や高齢者など不利な立場に置かれている人たちの役に立てるような活動を少しずつ始めている。

 

順調に人生を進めてきた、勝ち組の人間にはできないことが、私にはできるのではないかと思う。

 

 

「愛情」という気持ちは「無償」ですが、家事などの実務は「無償」ではありません

家事や保育、看護や介護などの実務は、時間と手間がかかっているのですから、無償ではありません。

 

無償でやるのは、ボランティアです。

ボランティアなら、できる時にできることをやれば良いですが、家事育児はそうはいきません。なので、有償の「仕事」です。

 

男性が、会社に時間と手間とスキルを提供してお金を得ているのと同じ理由で、女性の家庭での時間と手間とスキルも無料ではありません。

誰かが仕事に見合うお金を支払う必要があります。

 

「主婦」と呼んで、家庭内の仕事を担ってもらう以上は、賃金が必要です。

ただし、家族全員が平等に仕事を分担している場合は、賃金は必要ではありません。

 

正当に評価されない仕事ほど、苦痛なものはありません。

責任の重さを考えれば、無償でできるような仕事ではありません。

 

夫が仕事に出るためのサポート業務として、夫とその雇用者が、日本の将来を担う人材育成費用として国が、家事育児の仕事を正当に評価して、見合う対価を支払ってください。

 

対価が支払われない仕事はできません。それが今の日本のルールではないでしょうか?家庭内の仕事だけ適用外なのは納得できません。

「子供が欲しい」と思うように仕向けられているのでは?

あなたは、本当に子供が欲しくて子供を産んだのか、不妊治療までしても本当に子供が欲しいのか?

考えてみたことはありますか?

 

私は、2人、子供を産んで育てた。子供が欲しいと思ったのは本当だ。

でも、その「子供が欲しい」は、実は自分の本当の希望ではなかったと最近になって気づいた。

 

私は、子供の面倒を見るより、仕事の方が好きだし、断然、仕事の方が向いていた。

それなのに、仕事を辞め、子育てに専念せざるを得なくなったことで、うつ病を発症した。

 

経済的、体力的、精神的など、様々な負担を考えれば、子供を持ちたくないと考える人がいてもおかしくないはずだ。

 

しかし、女性とみれば、「結婚しないの?」「子供欲しくないの?」と聞かれたり、

テレビでは、幸せな場面のみがクローズアップされて映し出される家族の姿を毎日のように見せらる。

 

そうして、結婚すれば、子供がいれば、「幸せになれる」と無意識のうちに思い込まされてきたことで、「子供が欲しい」と勘違いしてしまった。

 

 

わたしが、今一番、気になっているCMがこれだ。

 

大東建託 企業CM】『家族はつながる。つながってゆく。親子篇』

youtu.be

このCMを見れば、親はありがたいものと感じるだろうし、結婚して子供を持ちたいとも思うだろう。

 

動画が削除されてしまったようなので、CMの内容を書いておく。

 

妻と赤ちゃんと共に実家に帰っている息子が、ダイニングで父親母親と話すシーン
息子:(妻の姿をバックに)子育て大変だった?
父親:(笑顔で)大変だったのはかあさん
母親:(誇らしげな微笑みを浮かべて)大変じゃない、必死だった
赤ちゃんが眠っているベッドの手すりに寄りかかり、赤ちゃんの姿を眺める夫と、少し後ろにいる妻が映され、夫がしみじみと「頑張らなきゃな」的なことをいうシーン

 

子どもを育てた自分を誇らしく思うのが悪いということではなく、CMにしてテレビで流すことで、そう感じるのが良いこと、普通なことという錯覚を与えることが問題なのだ。

そう感じられない母親である自分を責めたり、やっぱりそれが普通だと勘違いして、それに比べて自分の妻は母親は……と感じる人が悩んだり、妻や母親を責めたり怨んだりなどのような悪影響は避けられないだろう

 

しかし、現実はそんなに甘いものではない。

 

昔「一家の大黒柱」と言われ、未だに主な稼ぎ手とされている男性の労働環境は、年功序列賃金や終身雇用制度がなくなりつつある一方、相変わらず子供を持った女性はまともな職に就けず、低賃金の非正規雇用に甘んじるしかない。

 

子どもの環境はと言えば、未だに続く画一的な集団教育の中で、「スクールカースト」なるものまで出来上がり、いじめが日常茶飯事となっている。

 

大学進学も経済的な負担は本当に厳しい。

 

蓮舫議員が、コロナの影響で大学を辞めざるを得なくなる学生について、「高卒になってしまう」と表現して叩かれたが、高卒と大卒の賃金の差は歴然と存在する。

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「令和元年賃金構造基本統計調査 結果の概況(学歴別)|厚生労働省」より

 

高い賃金や希望の職業に就くために、「奨学金」という借金を背負わされてまで大学に行くのは本当に大変なことだ。

 

そんな日本の現状で、家庭を持ち子どもを育てることを、ほんわかとしたエピソードにくるんで理想化することは、本当にやめてもらいたいと思う。

 

社会からの結婚や子供を持つことに関する圧力がなければ、子供は持たなくてもいい、または、持ちたくないと考える人はたくさんいるのではないかと思う。

 

子供が可愛いのは疑う余地はない。乳幼児は「可愛い」と思ってもらうことで育ててもらい生命を維持していかなくてはならないからだ。

 

しかし、働いていてもまともな暮らしをすることさえ難しい社会で、子供を持つことの負担は、相当に大きい。

 

その事実を無視して、結婚や出産を、「幸せ」になるために必要で当たり前なこととし、「結婚したい」「子供が欲しい」と思い込ませる情報を、マスコミが流し続けるのは、あまりにも無責任なのではないか?

 

本当の自分の希望がわからなくなるほどに、「結婚し子供がいるのが幸せな人生」という世間からの刷り込みは、結局、人を不幸にしているし、生まれてきた子供をも不幸にしていると思う。

 

その証拠に、社会全体で経済的な困窮が目立ってくると同時期に、死亡に至るほどの児童虐待が目立つようになってきた。

現実的には不可能な、世間から示された「幸せ家族」を目指すことにこだわり続けた結果ではないかと思う。

 

どうかこれ以上、不幸な人や子供を増やさないためにも、ある特定の人が決めた「あるべき姿」をマスコミで流すのをやめてもらえないだろうか?

 

本当の自分の希望が、世の中から押し付けられた価値観にかき消されてしまうのは、本当に不幸なことだ。