ジェンダー平等は家庭から

うつ病になるほど苦痛だった主婦生活で見えた理不尽なジェンダー差別の実体験を綴ります

子育てに冷たい社会の仕組みが変わらなければ児童虐待はなくならない

仕事に復帰できない悔しさや、夫が何もしない怒りを感じないようにして、ただ、家事をこなすだけの「家事ロボット」になるには、抗うつ薬は一定の効果はあった。

 

今思えば、うつ病でも最低限の家事や子どもの世話はこなしていた。

 

しかし、その状態を維持するために、薬を飲み続けなければならなかった。

 

感情をなくして「家事ロボット」になるために薬を飲み続ける生活が、健全な生活であるはずがない。

 

日本の社会は、女性にそういう異常な生活を強いている。

 

うつ病にならないまでも、妻や母親となった女性は、ほとんどの人が、不満や怒りを抱え、疲労困憊している。

 

その不満や怒りは、時に何の罪もない子どもに向かう。

 

(最近はだいぶ減ってはきたが)育児の幸せな面だけが強調されたメディアの発信の弊害により、育児の現実を知らされずに生きてきた若い親にとっては、育児は苦行でしかない。

 

最近は、(本人が言うには)子どもが泣き止まないという理由で、悲惨な事件が多発している。

 

しかし、虐待事件の加害者として罰を与えることで事件が減るとはどうしても思えない。

 

なぜなら、子どもについての知識も与えられず、誰からの支援もない状況で、しかも、昨今ますます狭さが増す家の中に、母親と子どもだけで閉じ込められていたら、正常な判断ができるはずがないからだ。

 

相談に乗ってもらえたり、子どもの世話を代わってくれる、信頼できる人が、身近にいなければ、子育てなどできるはずがないのだが、社会にそういった仕組みがないので、頼れる人がいるごく限られた人しか、安心できる環境での子育てができない。

 

しかし、その現実を、男たちが知るはずもなく、男のために作られた社会の仕組みには組み込まれない。

 

社会の仕組みを作る場で女性が強い発言権を持ち、仕組み自体を変えていかなければ、母親や子どもたちの苦しみはなくなることはないだろう。

 

コロナ禍で、エッセンシャルワーカーが注目されているが、なぜかその中に、子どもを育てる親は入れてもらえない。しかし、以前にも書いたが、時間と手間をかける以上は、子育ても立派な「ワーク」だ。家事育児に限らず、評価されない仕事をすることは、誰にとっても苦痛だ。

 

少子化で日本の将来が危ういと言うなら、日本の将来のための事業である育児に国がお金を使うべきではないだろうか?